西安
シルクロードの起点
長安西門

唐の玄宗皇帝と楊貴妃のロマンスの地
玄宗は開元の治と称されたが、晩年は酒食におぼれ、安史の乱を招き、唐は衰微する

陝西省歴史博物館にて
上は秦の始皇帝陵、兵馬俑坑の出土品
下は有名な唐三彩

咸陽(かんよう)へ
茂陵
漢の五代皇帝、武帝(BC2~1世紀)の稜
前漢の最盛期、霍去病を擁し、北方騎馬民族匈奴を討って西方(シルクロード)を確保した

平涼 大仏寺石窟
岩に掘られた巨大な大仏を寺でカバーしている
敦厚莫高屈の96屈と類似

蘭州 炳霊寺石窟
4世紀末にはじまった
高さ27mの唐代 大磨崖仏

武威
文廟と雷台
蘭州博物館の銅奔馬はここの漢の武将の墓から発掘され、芸術性が高いことが分かった

張液
明の時代の万里の長城
漢の時代に作られたものと2種ある。
漢の方が長い

酒泉から敦厚へ
魏晋壁画墓(ぎしんへきがぼ)
砂漠の中にひっそりとある、北魏の時代の金持ちの墓

酒泉
魏晋壁画墓の中の絵
死者の生活を書き記してある。これらから当時の楽器、農耕や狩り、武器と戦い、お祭りと遊技などを知ることが出来る

嘉峪関
明の万里の長城最西端
この広場にに兵隊が寝泊まりした

嘉峪関から続く万里の長城

敦煌郊外
漢の万里長城最西端の玉門関へ
昔はもっと大きな川が流れていてオアシスだったらしい。

敦煌 莫高屈
三危山に向かい合うように鳴沙山の東端の崖に作られた

莫高屈96屈
中には大きな大仏が掘られています。

敦煌
莫高屈、4世紀から14世紀にかけて1000以上の壁画や石窟がある

陽関
敦厚郊外
漢の万里の長城最南端このずーとさきには桜蘭が...

玄奘三蔵はここから西域に乗り出した
厳しく心細かっただろう

陽関

西千仏洞
莫高屈、ベゼクリク、楡林屈などに比べて文献上貴重さは下がるようだ。
芸術的にも、きめの粗い塑像が目立っていた。

西千仏洞
撮影不可
文化大革命の影響大

第3・4窟 初唐・西夏、仏教・道教
第5窟 北魏、第6窟 北周・飛天・涅槃
第7窟 西魏・涅槃→敦煌57窟 平山郁夫と似ている
第9窟 北周・切り妻式屋根・第10窟 北周・塑像

敦煌→安西(382km)
楡林窟 やはり撮影不可
41窟の内、東31窟、西11窟。
見学窟
第12窟→五大十国、伏式窟・薬王・飛天・徒弟・西方浄土(前は回廊で繋がっている)
第13窟→伏式窟、太った飛天、入り口左右文殊・フゲン菩薩、花
第14窟→宋、一番天井がきれい
第15窟→経変図
第16窟→宋の家族、経変図
第17窟→大きい、初唐
第6窟→弥勒菩薩、24m、初唐、大きい飛天
第19窟→東方浄土、薬師西方浄土、五台山
第20窟→狭い、第25窟と似ている
第21窟→初唐、入り口供養仏
第23窟→道教の窟、同床異夢
第3窟→有料150元、西夏、文殊変・普賢変、千手千眼観音、玄奘三蔵・孫悟空の図(唐僧取経図)→帰国、水月菩薩
第25窟→唐、有料200元
第2窟→西夏、水月菩薩二幅、玄奘三蔵・孫悟空の図(唐僧取経図)→出国

安西
鎖陽城遺跡
漢の時代、敵に攻められ、この砂漠に育成する鎖陽の草を食べ、一ヶ月籠城、助勢の軍がくるまでしのいだという逸話がある

鎖陽城遺跡
